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2024.04.18

特集 にっぽんの真綿

特集 にっぽんの真綿

真綿を見たことがない人はいないと思いますが、そもそも真綿って何 でしょう。きちんと教わる機会のなかった、真綿とそれを生み出す蚕の基礎知識やエピソードを集めました。

 

蚕が作り出した白い繭からは、大きく2つのものができます。生糸と真綿です。繭からほぐして引き出した糸をたばねると生糸になり、その表面に付いたセリシンというタンパク質を落とし精錬すると、絹糸になります。

一方、繭を煮てやわらかくして、1 粒ずつ広げて作られるのが真綿。真綿を糸にしたものは紬糸と呼ばれます。なお、綿=木綿=コットンは植物の綿の実からとれるもの。かつて日本で綿といえば真綿でしたが、木綿の普及とともに綿といえば木綿を指すように。ややこしいですね。

 

似た印象のある真綿と木綿ですが、木綿の繊維は固くて短いのに対して、真綿は細くてやわらかい糸が幾重にもふんわりと重なり合ってできています。

蚕は 2~3日かけて1本の糸をはき続け、その長さは1300~ 1500m、直径0.02mm。1粒の繭にこれだけの(1本の!)糸が詰まっているのです。

 

綿甲冑(めんかっちゅう)や綿襖甲(めんおうこう)と呼ばれた鎧(よろい)は、布に真綿を挟みこんだもの。真綿の強さを最大限に活用しながら、防寒性も備えていため、中国を中心に広く使われ、13 世紀に日本に来襲した蒙古軍も着用していました。

 

日本で最も養蚕が盛んだったのは昭和初期。昭和5年には繭の生産量は 39.9 万トンにまで高まり、日本の農家の約 40%にあたる 221 万戸の農家で蚕を飼っていたのだそう。

ただ、その前年の昭和 4年から始まる世界恐慌の波は日本にもおよび、さらに様々な化学繊維が開発されて産業としては衰退していきました。

 

原文では、農桑(のうそう)とあります。農業と蚕を育てるのに欠かせない桑、つまり米と蚕の重要性についての条文がすでに定められていました。基本的に真綿や絹は高級品として身分の高い人が使うものでしたが、屑繭(くずまゆ)から作られる紬の織物は庶民の間にも広がっていきました。

 

明治初期に明治天皇の皇后が始めた「宮中御養蚕」。現在の雅子皇后にいたるまで引き継がれています。皇居内には「紅葉山御養蚕所(もみじやまごようさんじょ)」という養蚕施設まで建てられ、皇后 自ら養蚕のさまざまな段階にたずさわっていることが、宮内庁のウェブサイトでも発信されています。

 

そもそも蚕が人に飼われ始めたのは約 5000年前とも言われ、最も家 畜化された生き物です。だからこそ、蚕の数えかたは1頭、2頭...と「頭」が使われ、まるで動物のよう。

日本蚕糸学会による『カイコの科学』という本を見れば、「カイコでワクチンを作る」「 カイコを使って農薬を開発する」「カイコでアルツハイマー病を治す」「再生医療とシルク」といったテキストが並び、蚕の研究が現在もさまざまに進められていることが知れます。

参考文献 『カイコの科学』(日本蚕糸学会・編/朝倉書店) 『真綿 蚕からのおくりもの』(日本真綿協会・編 / 農文協)